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井ノ口洪太

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へぇ〜

2006.11.17 建築



トゥーンシェーディング(3Dレンダリングの一種、アニメのような平面的な表現になる)のインテリアだそうです。

実際のものに適用しても輪郭と面の塗りわけのやり方で奥行き方向の感覚をなくしてフラットな見えになっていておもしろい。

太い輪郭と質感のない表面。太い輪郭は形の抽象性を強調し、テクスチュアがないのでスケールと奥行きの感覚が狂う。
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秋晴れ

2006.11.15 日記
quarter061115


キャンパスの銀杏が色づく今日この頃。

陽あたりのよい葉から変わってゆくみたいだ。

ゆっくりでもちゃんと、皆 黄色くなる。
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1,2,たくさん

2006.11.08 思うに・・
中国人は1つと、2つと、たくさんしか数えらんない。

なんて話を聞いたことがあるけど、この数字の境界線は物事に登場するものの数として考えると、なるほど的を得た数字なのではないかと思いました。
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解像度について

2006.11.07 建築
青木さんの本を読み直さなきゃ、とか言っといてなんだかんだでそのまんまで、隙間の時間をうまく使えないでいたのですが、個人的に考えていたことの続き。

自分のなかで、一言で視覚についての解像度とはというと、臨場感のことだと思います。

ぼくらは目から得ている圧倒的な情報量の中から必要な情報だけを選び取って頭の中で風景を構成しています。

ものを見ている、とするとき、僕らは目から得たものの中からある事象、物に焦点を当てて観察しています。

つまり、ものを見ているときには焦点の当たっているものだけをみて、そのほかの背景となる周辺視野の情報はおぼろげなままの認識でいる、ということです。

つまり、焦点の当たってないほとんどの背景はぼやけて認識しているわけです。

写真の作品で言うと、ポートレートなんかがそのような視覚の認識方法を利用して表現を行っています。

ポートレートの撮影では多くの場合、主題のみに焦点をあててシャッターを切ります。

特に人間は他者の顔の、特に目を見ていろいろな情報(表情・感情)を得ているので目にピントを合わせて、被写界震度を浅く(ピントの合う幅を狭くして)撮るのが定石になります。

他者と向かいあっている人は目の表情から得られる以外の情報はほとんどを捨象していることを写真表現に利用するのです。


それに対して風景の表現はというと、視界の中のあらゆる物事の調和や構成で画面を構成するので、なるべく多くのものにピントが合うように、多焦点な表現をします。

つまり、画面の中のあらゆる事物にまなざしを向けられるように表現することが多いのです。
これはポートレートの表現とは対照的なものだと思います。

画面の隅々まで見れることでより多くの情報を得ることができます。空気感、質感、光線状態、登場物、それらの配置・構成など風景にはポートレートよりも広範囲の多くの種類の情報が構築されたものと考えることもできます。

人の表情はものすごい情報量を持っているので簡単にポートレートと、風景写真とどちらの情報量が多いのかということは簡単に言えることではないのですが、風景のほうが多様な属性の情報を使って表現をします。



ここで、解像度が高くなるということはどういうことでしょうか。

解像度とは一般的に単位面積中の画像情報の密度のことを指します。

僕は僕らが世界から視覚的に得ている圧倒的な情報量と同じくらいの情報を画面の(空間の)中に表現することではないかと考えています。
細かなディテールまでを克明に表現するということ。

写真の感剤(フィルムやプリント紙のこと)やデジタルカメラの撮像素子やプリンターの技術は時代とともに大きな技術革新がなされて性能は劇的に向上しました。より高精細な画像を作ることができるようになったということです。
建築の世界でも建材や施工技術の発達はあらゆる表現に幅を広げてきました。

そうした中で一人の写真家の作品にとても感動したことがあります。というか、その作品に出会ったことでこんな考えをするようになったわけなんだけど。

内原恭彦さんはキャノンの写真新世紀でグランプリをとった作家です。

彼はデジタルカメラでひとつの風景を約50分割して撮影し、それらをつなぎ合わせて2億ピクセル以上の圧倒的な情報量をもった作品を制作しました。
美術館の壁いっぱいに広げられた一枚の作品は写されたもののあらゆる詳細までを描き出していました。

視界を覆うほどの作品の大きさ、近寄っても近寄っても克明に詳細が写っているその作品は、見るということの肉体性を再認識させるような迫力を持ったものでした。

まさに臨場感。質感の克明な表現です。

このことは空間のことでも同じなのではないかと思う、というか、写真はそもそも空間が存在しないことには成立しないので、同じなのだと考えます。

ぼくが良い空間だと思ったことがあるのは、構造的にも空間的にも圧倒的に力強い空間と、細かいところまで丹念に作りこまれた緻密空間、(というかこういうのを解像度の高い空間だといってみたいのだけれど)、そのような空間です。

それらはある種、非常に趣味的な場所でもあったりするのだけれど、ある一定の判断基準で徹底的に作りこまれた空間は気持ち良いと感じてしまいます。

少し乱暴かもしれないけれど、こう考えると、江戸時代のお洒落な遊び人が作った数奇屋と現代の遊び人が作ったヴィレッジ・ヴァンガードの店内の気持ちよさは同じだともいえるのではないかいうことです。

こんな極端な例を出さなくてもちょっとした料理屋さんの空気とか、古くから続くそば屋の統一感みたいな、そんなハマリ感。

それはあるいみ皆の感覚の中にある普遍性みたいなことと関連しているような気がします。
良い意味でのステレオ・タイプ。

で自分なりに解像度の高い空間って言うのをまとめると。

ある、一定の趣味を徹底的に突き詰めて物をつくったならば、それはある種の普遍性を持ち得るではないか。

ってことになるのかな?
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ecoと経済

2006.11.01 日記
英国政府の委員会が近く、異常気象は世界規模の景気後退の引き金になるとの答申を発表することで最終調整に入ったことが、26日、英ガーディアン紙の報道で明らかとなった。

英国政府の科学技術顧問を務めるデビット・キング氏が英ガーディアン紙のインタビューに応じて明らかにしたもの。

世界銀行の主任エコノミストを務めたニコラス・スターン氏が行ったシュミレーションによれば地球温暖化に対して有功な対策が打ち出されなければ2100年には世界経済は1929年の大恐慌以来の景気後退局面に直面することになるだろう、としている。

ただし、スターン氏のシミュレーションによれば、比較的少ない費用を地球温暖化への対策費として講じるだけで、経済経済が大きな影響を受けることは避けられるという。

異常気象による100年後の世界恐慌を避けるために今から対策を講じるのか、それともそれらの対策は後世の世代に先送りするのか、今後、地球温暖化対策は政治経済の大きな争点となってきそうだ。

スターン氏が中心となって取りまとめを行った答申は英国の財務省により今月30日に正式発表される予定。

http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200610281909



だそうだ。

温暖化対策の費用が世界恐慌による大打撃よりも小さなダメージで済むとなると、環境保護への意識の向かい方はより大きなものになるのではないかな。

世の中を動かしてるのはなんだかんだで結局経済の力が一番大きい。心に訴えるようなエコへの取り組みはいままでいくつもなされてきたけれど、結局そうやって世界を啓蒙することなんかよりこうした試算が出ることのほうが影響力がある。そういうのってなんだかなって思ったりするけど、こうやって環境に関する技術や動きが経済的にも優位に立つようになるのならばこのニュースはこれから先の未来のひとつの分岐点かもしれません。

全体の3割方のCO2を排出してる建設業界へのインパクトもおおきいものになるだろうなぁ。流れが変わりそう。性能の良いものほどかっこよくあるべきだと思います。建材等のスペックの向上も大事だけれど、空間的な強度のある、時代を超えて快適な空間がつくれたらと思う。
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