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井ノ口洪太

Author:井ノ口洪太
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今日から秋みたい

2006.10.24 日記
夏の続きから一変、今日から福岡は秋みたい。

上に一枚多く羽織るのがいります。

それから、今日から卒計に向けてゼミ形式の勉強会を始めることになりました。

さあ、がんばろう。
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すわっ!!

2006.10.20 アート コメント0
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2006.10.16 思うに・・
こういうすごく重いものを持ち上げるっていうのをやっていて思ったのだけど、小さいときには生まれない想像力があるということ。

その物体が持つ質量がどれくらいのものでそれに対して小さな人間の身体では受け止めることのできる量というのはたかが知れてて、もし御輿が崩れようものなら人なんて簡単に壊れるだろうな、って感じ。今ではその壊れ方までそれなりに目に浮かぶ。

これは幹線道路のすぐ横を歩いているときなんかも感じてて、歳をとるにしたがって大型トラックや観光バスの量感に吸い込まれそうな感覚を覚えたり、ちょっとでもの接触は死を予感させる。

たぶん、経験を重ねるにつれて、木材と鉄の違いとか、木材でも大きな断面の丸太はものすごく重いことがわかったり、物理や科学の法則が新しく量感と破壊力の感じ方に新しく尺度を与えたりする、そんな感じの経験からリアリティを増す想像力。

この手の想像力っていろんな経験のピンとキリの両極を経験してその幅を広げていくことなのかもね。言葉を覚えるみたいに。

良質な布の肌触りとか、柔らかいけれどしなやかな材料とか、鋭い刃物の切り裂く力とか、工業製品の手を通してもわかる精密さとか、ものすごくおいしい料理とか、逆に完全にひどい料理とか、ものすごく怖いお兄さんのにらむ迫力とか、身体的な感覚の経験値は貯まれば貯まるほど想像力が強くなる。

むかし誰かが、 できるだけ本物に、上質に触れる機会をつくれ。田舎もいいが、都会にしかないものもいっぱいあるぞ。といったのはあながち外れていない。いいものをつくりたかったらいいもの知っとかないとイカンのだと。

じゃあ、みんなが歳をとるごとになくしていくっていっている想像力ってどんなものだろう。純粋であること?自分の感想を素直に表現すること?それとももう僕は歳をとりすぎてそういうのはもうわかんなくなっているのかも。

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枝光御輿

2006.10.16 日記
志賀研で枝光御輿。

平松の祇園参加、枝光山車、平松盆踊りに続く第四弾はこれ。

お祭り好き、酒好きには当研究室がおすすめです。

平松よりは担ぎやすかった、といっても御輿自体はすごく重くて肩が痛くなる。ただ時々身長が足りなくて場所によっては肩が届かないのだ。その分大声出したから、いいだろう(勝手に)。

中学生たちも参加してた。明日は試験だそうで、ふざけてまわってるかと思えば明日は試験だとポロッと出る感じはいじらしい。

その後いつものように地域の方と呑み。秘蔵の焼酎が出る。

釣ったヒラメが出てきて、捌くのを見てた。こういうのできたらかっけーな。

それから、まちのボス的なおっちゃんの武勇伝はホントか??とか思いつつも面白かった。義理厚く、一匹狼で、女好き。

そこでふいに感謝される。学生の地域参加が、まちを元気にしていると。

たしかにそうかもしれないけれど、地域の若者が出て行ってしまったあとに僕らが入るのも不思議な感じはするし、僕らにも離れてしまった地元があるわけでそっちでも若者は足りないのだ。複雑な気分。

そうは言ってもセンセの地域密着戦略はなかなかできるもんじゃない。アンケート回収率8割は伊達じゃない。
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晴れ

2006.10.14 日記
かねがね身軽になりたいと考えていたけれど、結局は今のままをまっすぐ見つめることが近道なのかもしれません。

何も変わらなくても、拡散気味の思考であっても、ごちゃごちゃした無駄の中に自分の追いかけてきたものがあるような気がします。混沌みたいなものの中に走る一瞬のリンクが気持ちいいのです。今まではまだ暴れがちなそれを垂れ流しに言葉にしてしまっていたけれど、今ならもう少し的に向けて飛ばせそうな気がします。

一日は24時間しかないと考えるよりも、24時間もあるのであって、まだまだできることはたくさんある。確かにある。

面白いと思ったことをやり切れれば本望。どんどん手を出せ、欲張りになれ。確かに欲張っていっぱい手をつけて、うまくいかないこともたくさんあったけれども、ちゃんと選べば取りこぼしは減らせるはず。

で、結局今までどおりなの?って事なのかもしれないけど、これでいいのです。そうやってきたんだから。他のやり方なんて知らないし、今のままがしっくりきているのだ。

ただひとつ大事なのは手を出す前にタイミングを逃さぬ程度に少し一呼吸して周り見回すくことで、それが今後の目標かしら。

まだ、走れる。無駄にこそ、美学があると信じて。
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今日から

2006.10.05 建築
そういえば建築のことを書くのははじめてだ。

今日は二時から青木さんの講演会。

景観の話題にとらわれない話をもっとききたかったのになぁ。

青木さんのつくる建物はすごく丁寧なものづくりの印象があって好き。

実際は表参道の作品しか見たことはないのだけれど、細部まで作りこまれた空間は気持ちよかった。

写真の考え方でいうと、解像度がすごく高い、というか、近寄ってもちゃんと絵が作りこまれている、というかそんな印象。

実際、作品集に載っている内観、外観合わせて作りこむ密度、というか緻密で趣味的だけれどもとことんこだわった濃密な仕上がりはすばらしいと思う。

青木さん自身も空間づくりと視覚的な解像度についてはいろいろ考えていて、,,,もう一度本を読みなおさないと無理っぽいからまた後日。

槇さんの建物を見ても、少し毛並みは違っても同じような目からの印象が残っている。

槇さんのはもっと、シャープで研ぎ澄まされて、角がピンと立っている感じ、構成する線がすごく細く、緻密。

一方で青木さんの作品も緻密ではあるが多彩な材料の使い分けがすごくうまくて、彩り豊かで、写真で見ても質感が伝わってくるような、そんな感じ。

本の中では空間の構成ルールと切り離して仕上げの決定をしたためにすっきりしないと書かれていたけれど、僕には、趣味的だといわれてもその空間はとても魅力的に映ります。

青森美術館には、開館直後のちょっとほとぼりが冷めて雪が降る季節に行きたいと思う。雪なしのトレンチも気になるけれど、北国の建築の特権でもあり、敵でもある雪を纏う姿が見てみたい。

話はかわるけど北国の雪は夏の風景を一変させる。北国の建築は雪と寒さを克服し、利用することが特徴的な空間づくりや、建築の形を生み出すきっかけになっている。

北国の建築家はそれを十二分に活用して自分のアイデンティティーにしているのではないかとおもいます。

去年オープンデスクに行った五十嵐淳さんはその最たる例。北海道の持つイメージを最大限利用して作品作りをやっている。

五十嵐さんの事務所は建築を生産するプロセスが少し特殊であることも挙げられるけれど、北海道の奥地の神秘さ、冬には雪で閉ざされる過酷な環境、それに対応するための特殊な空間構成や建築要素を、すべて自分のアイデンティティーに向けて使いこなしているのだと思う。地の利を活かし、世界に価値を問う建築家。

一方、南の国には何が強みなのだろう。九州に住んでいると気候的にそんなに劇的な環境変化はないし、むしろ福岡と東京の気候の差はあまりない。大雨や台風はなかなかドラマチックな風景には結びつかない。

卒計では東京ではできないことをやらないと勝ち目はない。

九州でしかできないことはなんだろうというあたりから卒計のことを考えていこうと思います。

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夏のおわり

2006.10.02 写真
人がいなくなった浜はまた終わったばかりの夏を待つ。

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